国民参加の事例紹介
近畿圏 国栖の里観光協会(奈良県吉野町)
国土形成計画(全国計画)では、新しい国土像実現のための戦略的目標の一つとして「持続可能な地域の形成」を掲げています。その実現のための施策の一つが「地域資源を活かした産業の活性化」です。特に、地域の自発的かつ独自の取り組みにより、地場産業の活性化や新たな地域ブランドの育成を図ることが重要であり、このような事例として、既に活発な活動を続けている「

吉野町は、奈良県の中央部、吉野郡の北部に位置し、自然環境に恵まれた人口約10,000人の町です。歴史の大きな舞台にもなっており、全国的にも有名です。国栖地域は、吉野町の東部に位置し、伝統の和紙、吉野杉の端材を材料にした割箸など、ものづくりの伝統が息づいている地域で、近年は新しい「吉野ブランド」の確立を目指した活動も展開されています。今回は、「国栖の里観光協会」の森浦会長、和田理事、奥谷さん(協会事務局)と植さん(和紙製造)、吉田さん(エッチング工芸)、山田さん(ガラス工芸)にお話を伺ってきました。
国栖のものづくり
国栖は、「くにす」または「くず」と読みますが、くずが通称で、くにすは日本書紀にも「くにす族」として記されている歴史ある呼び名だそうです。
国栖のものづくりの歴史は古く、史実では、大海人皇子が追っ手から逃れ国栖に入られたときに村人がお助けして、そのお礼として、
戦前までは、養蚕と紙漉はこの地方の主力産業で、だいたいどこの家でも、蚕室があり、蚕を飼って和紙を
しかし、養蚕は、近年の生活様式の変化などにより、衰退の一途を辿り、吉野町でも10年ほど前に最後の1軒がやめてしまったそうです。
紙漉も最盛期には国栖周辺で300軒に届くかという規模だったのですが、現在では、パルプに押され、8軒にまで減ってしまっています。
原因はやはり需要と将来性で、最近になって手漉き和紙が見直されていますが、それまでは、父親が紙漉をしていても、なかなか息子には継がせられないということが多かったようです。
箸
養蚕と紙漉が斜陽産業となると、それに代わる産業として、割り箸作りが盛んに行われるようになりました。最初は、数名の手作りの割り箸職人から始まりましたが、外食産業が盛んになるにつれ、機械化が進み、全国から吉野地方に、いい杉やヒノキが集まりました。吉野の割り箸は、植林された杉、ヒノキを間伐し、その原木から建築材をとった残りの余材で作られています。吉野地方には、原木市場や背板市場が立ち並び、割り箸作りは、新たな地場産業としてこの地に根付いていったのです。
しかし、割り箸作りも安い外国産に押されて、衰退の一途を辿ることになります。現在では、国内で割り箸を作っているのは吉野町と北海道のごく一部で、国産は5%にしか過ぎません。数少なくなってしまった国産割り箸ですが、最近は国産が見直されてきているという追い風に加えて、記念品用の高級割り箸など、付加価値をつけて売るという試みも行われています。

あたらしい風
割り箸の取り組みに加えて、新たな変化として、この地方に移住してくる工房が増えているそうです。
大阪からはガラス工芸家、千葉からは陶芸家が、そのほか建築家やデザイナーの移住者も居て、吉野町には新しいものづくりの風が吹いています。
移住された方は、吉野町のものづくりに適した環境に惹かれたそうです。音が出る、木くずが飛ぶなど、町中では近所の目が気になったりもしますが、吉野町の人はものづくりに寛容です。
また、分野は違っても、ものづくりに取り組む仲間がいるというのはとても大きいそうです。ガラス工芸家やデザイナーが、紙漉や木工といった伝統工芸に刺激を受けることもあれば、和紙とガラス、箸と和紙といった具合に、異業種が交流して新しい商品が生まれることもあります。伝統工芸と新しい技術のコラボレーションが、お互いの価値を高め、吉野町でしか作れないようなものが生まれつつあります。



